Editorial / Information Design

546人の島で、観光資源をつくるということ

学内で、ある募集を見かけた。北大東島でコーヒーを使い、観光資源をつくる企画。島民が参加する交流イベントを開く。研究助成の一次審査を通ったところだという。

参加するかはまだ決めていない。ただ、その前に自分で調べたことを残しておく。

前提を確認する

北大東村の人口は546人、317世帯。沖縄県内で2番目に人口が少ない自治体にあたる。

意外だったのはここからで、この村は年少人口率が県平均より高く、高齢化率は低い。少子高齢化が進んでいない。地域おこしの話でよく使われる「お年寄りばかりの村」という前提は、この島には当てはまらない。

沖縄本島から東に約360km。県内で最も早く朝日が昇る島だ。

二つの向き先

企画の名前には「観光資源をつくる」と「島民参加型」が並んでいる。

前者は島の外に向いていて、後者は島の中に向いている。印刷物を一点だけ作るなら、この二つを同時に担うことはできない。使う言葉も、載せる写真も、置く場所も違う。

そして317世帯の島で、掲示物による告知がどれだけ必要なのかも分からない。この規模なら、回覧や村の広報のほうが確実に届くかもしれない。

物理的な天井

那覇からの飛行機は1日1往復のみ、所要は約1時間。同日中に往復できないダイヤなので、訪れるには最低1泊が要る。機材は50人乗りだ。

船は約15時間かかる。断崖絶壁で接岸できないため、人も貨物もクレーンで吊ったゴンドラで乗り降りする。天候によって欠航する。

つまり、この島に入れる人数には物理的な上限がある。「観光資源をつくる」と言うとき、その上限をどう見積もっているのかが、企画の成否を分ける。

語られる歴史と、語られない歴史

村は自らのアイデンティティとして「フロンティアスピリット」を掲げている。明治期まで無人島で、1900年に玉置半右衛門が上陸し、開拓が始まった。燐鉱石の採掘で栄え、最盛期には2,700人が暮らした。

ただ、その先がある。

開拓後、この島には行政が置かれなかった。商店も学校も警察も郵便も、すべて玉置商会が担った。大東島紙幣という独自の紙幣が流通し、労働者への給与はその紙幣で支払われた。日本円への交換には申請が必要で、そのため労働者は島を離れにくかったという。日本で唯一の企業植民地の事例とされている。

開拓の物語を観光資源として語るとき、どこまでを語るのか。これは事実の問題ではなく、編集の問題だ。

まだ分からないこと

ここまでは、外から調べただけの話でしかない。拠点があるのか、教材とは何の教材なのか、島でどうやって告知が回るのか。何も確認できていない。

日曜に話を聞く。間違っていたら、書き直す。